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2009年04月 アーカイブ

2009年04月02日

加工による分類

精白等の加工による分類。玄米及び精米品質表示基準では、玄米、精米、胚芽精米に分けられている。

玄米
籾を籾摺りして籾殻を取り除いた米で全粒穀物。下記の他の米の原料。糠層には発芽に必要なビタミン類、脂肪分などを含んでおり栄養価が高い。糠層は胚乳部に比べ硬く、また脂肪分の影響で疎水性もあるため、白米用炊飯器で炊くとアルファ化が不完全となり消化が悪く、食感も悪くぼそぼそになる。圧力釜や玄米対応の炊飯器で炊くことで、消化が良く味わいが豊かになる。
発芽玄米
僅かに発芽させた玄米。スプラウトの一種と考えられ、玄米よりも栄養価が高い。また、玄米より消化、味ともにも良く、白米用炊飯器で炊くのに比較的適している。他の加工米より高コストで高価。市販のものは発芽の進行を休眠させている物もある。
分搗き米
玄米から糠層を一定の割合でとった精米。とった割合により3分搗き米、5分搗き米、7分搗き米という。栄養は玄米と胚芽米の間となるが、残留する糠層の量によって異なる。
胚芽精米(胚芽米)
玄米から糠層のみを取り去って胚芽が残るように精白した米[6]。一般には胚芽米と呼ばれる方が多い。外見上、白米同然に白く精白されており、胚芽だけが残っている。胚芽精米の品位基準によると、重量比で胚芽を80%以上を残したものとされており、この基準を満たしたものが「胚芽精米」と表示できる。胚芽精米を調製するには、一般の家庭用精米機では現在ところ技術的に困難とされており、専用の大型精米機を使う必要がある。最近の家庭用精米機の中には、胚芽を多く残すための「胚芽モード」といった機能を備えたものが出回っているが、胚芽精米の品質基準を満たすことを保証しているわけではない。栄養は玄米と白米の中間程度。玄米より消化が良く、白米用炊飯器で炊ける。一般に白米より高価。
白米(精白米、精米)
玄米を精白して糠層と胚芽を取り除いた米。日本で最も食べられている主食だが、胚乳のみの為栄養バランスが悪く副食が必須。日本では主に洗米してから炊いて米飯とする。そのため、一般に市販されている炊飯器は通常白米を主な対象としている。味が淡白でいろいろな料理に合せやすい。
無洗米
精白した白米の表面に付着している糠の粉を取り去った精米。洗米の必要が無く、洗米すると栄養が溶け出すので洗米しない方が良い。節水になる。当然白米より高コストで高価だが、洗米の水道代等を含めた総コストは白米より低い。
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使用される薬品など [編集]
米の生産(稲作)には病害虫の防除や稲の生長のため、殺菌剤、殺虫剤、除草剤など各種の農薬が使用される。薬品には玄米中への残留農薬の基準がある。

プロクロラズ(殺菌剤)
ヒドロキシィソキサゾール(殺菌剤)[7]
フィプロニル(殺虫剤)
ベンスルフロンメチル(殺菌剤)
メフェナセット(除草剤)
ベンタゾン(除草剤)
ピロキロン(殺菌剤)
ジノテフラン(殺虫剤)
エトフェンプロックス(殺虫剤)

米の調製・調理・加工 [編集]

調製 [編集]
米は稲穂の状態をそのまま食用とはせずに、精製を行って食用とするのが基本である。精製のプロセス(一般にこの作業を調製という)は一般に以下のようになっている。

脱穀(だっこく)- 稲穂から籾(もみ)をはずす。先進国の機械化農業では、コンバインにより稲刈りと同時に行われるのが主流。
ふるい - 脱穀した籾、籾殻、稲藁などから籾を選別するために篩(ふるい)にかける。
乾燥- 収穫されたばかりの籾は水分が多いので、保存性の為に乾燥する。銘柄等が表示できる証明米は、水分率の上限が定められている。質量取引なので過乾燥は金銭的に損になる。
籾摺(もみすり)- 籾殻をむいて玄米とする。
風選(ふうせん)- 籾から籾殻やしいなを取り除く。
選別(せんべつ)- 玄米をふるいにかけ、標準以下の大きさの玄米(くず米)を除く。
貯蔵- 保存性から玄米か籾で貯蔵される。日本では玄米で貯蔵する。
精白(せいはく)- 玄米の糠層と胚芽を削り取り、白米(精白米)とする。この作業をすることを「精米」(せいまい)あるいは「搗精」(とうせい、「米を搗(つ)く」)ともいう。包装に「精米年月日」が記される。
精選(せいせん)- 精白後の米からさらに選別を行う。

調理 [編集]
短粒種の白米は、日本等では、ぬかを洗い流した(洗米とか「米を研ぐ」という)のち、調理する。粳米は炊いて飯とし、糯米は蒸して「蒸し飯」もしくは蒸した後に搗いて餅として食べることが多い。中国などでは、粳米を蒸す場合もある。 米を炊くことを炊飯(すいはん)、あるいは炊爨(すいさん)という。「蒸し飯」を、お強(おこわ)、あるいは強飯(こわいい)とも呼ぶ。これは、蒸した飯が炊いた飯よりも「こわい」(「硬い」の古い言い方)ことに由来する。 長粒種の粳米は、煮る(湯取)事が多い。

古くから、飯を乾燥させたものを「干し飯」(ほしいい)、あるいは「糒」(ほしい)といい、携帯保存食として用いた。現在では、この干し飯と同じ物をアルファ化米(加水加熱して糊化(アルファ化)させた米)といい、同じく携帯保存食や非常食などとして用いる。

飯として炊くときよりも多目の水を加えて、米を煮た料理を粥という。このとき加える水の量により、全粥(米1に対して水5?6)、七分粥、五分粥、三分粥(米1に対して水15?20)などと呼ばれる。また、粥から固形の米粒を除いた糊状の水を重湯(おもゆ)といい、病人食や乳児の離乳食に用いられる。

栄養分をそぎ落とさないように、胚芽部分を残した胚芽米や分搗き米、玄米をそのまま炊いて食べる場合もある。最近では発芽玄米も食べられている。胚芽部分には脚気を予防するビタミンB1が豊富に含まれる。

籾殻を取る前に、水に長くつけ、蒸しあげてから籾摺りをしたものを用いる地域もある。タイ、マレーシア、シンガポールなどの国のほか、日本では和歌山県などでこの習慣があった。干し飯のように、熱い湯や茶をかけてやわらかくすることができるほか、炒って食べる場合もある。

黒米や赤米は、白米に混ぜて炊くことが多い。研いだ白米に対して3?10%程度(好みに合わせて分量を調節)を洗わないでそのまま入れて炊く。

餅(もち)については、餅の項目を参照。

調理用具 [編集]
米の調理には次のようなものが利用される。(汎用加熱器具を除く)



土鍋
電気炊飯器
蒸篭

加工品 [編集]
東南アジアを中心として粉食も一般的で、ライスヌードルとしても広く食用にされる。

上新粉 - うるちの精白米を粉末にしたもの。料理や団子やせんべいなどの和菓子や中華菓子などの原料となる。粒子が粗いため洋菓子には適さなかったが、最近ではリ・ファリーヌと呼ばれる、小麦粉並の細かさのものが製粉会社各社で開発されており、それらは洋菓子やパンなどの材料に使用が可能である。米からつくったパンの外見・食味は小麦粉からつくったものに劣らず、もちもちとした食感になり、日本人の嗜好に合ったパンができる。
白玉粉 - もち米を粉末にしたもの。水挽き粉砕をしているため、粒子が細かくなめらかな食感が特徴である。
α化米(加工米の一種。糒など)
着香米 - 竹のエキスなど、他の成分で人為的に香りをつけたもの

2009年04月17日

バトゥ・オルダ両王家の断絶とトカ・テムル家の台頭

1359年にウズベクの孫ベルディベクが死ぬとバトゥ・ウルスではバトゥの王統が断絶し、1379年までの20年間に21人以上のハンが交代するという大混乱に陥り、キヤト部族のママイが黒海北岸を押えて大勢力となった。また東部のオルダ・ウルスでも王統がオルダの子孫から、ジョチの13男トカ・テムルの子孫に移り、トカ・テムル裔のオロスが支配した。

1376年、オルダ・ウルスにいたトカ・テムル裔のトクタミシュは、オロスと対立してティムール朝のサマルカンドに逃れ、ティムールの援助を受けて1378年にオルダ・ウルスの支配者となった。トクタミシュはサライに遠征してサライのハンの座につき、さらに1380年にはクリコヴォの戦いでモスクワ大公国に敗れて再起をはかる途上であったママイを破ってジョチ・ウルスの再統一を果たした。

しかし、トクタミシュは支援を受けたティムールと対立し、1395年、ティムールの大軍によるサライ遠征に敗れて没落し、マンギト部族のエディゲに倒された。これ以降、ジョチ裔の様々な家系に属する王族によりサライのハン位が争奪され、争奪戦に敗れた王族が他地方でハンを称して自立し、ヴォルガ中流のカザン・ハン国、カスピ海北岸のアストラハン・ハン国、クリミア半島のクリミア・ハン国が次々に勃興し、マンギト部族の形成した部族連合ノガイ・オルダや、大オルダと呼ばれるようになったサライを中心とする政権(黄金のオルド)などの諸勢力が興亡した。一方、東方の旧オルダ・ウルスではジョチの8男シバン(シャイバーン)の子孫がハンとして率いるウズベク(シャイバーニー朝)と、オロスの子孫がハンとして率いるカザフ(カザフ・ハン国)の二大遊牧集団が形成され、南シベリアではシビル・ハン国が誕生し、15世紀の間にジョチ・ウルスの政治的統一は完全に失われていった。

サライの大オルダ(黄金のオルド)は、1480年、モスクワ大公イヴァン3世に敗れてルーシの支配力を失った。大オルダは1502年にクリミア・ハン国によってサライを攻略されて滅ぼされ、カザン、アストラハン、シビルの各ハン国は16世紀の間に次々にロシア帝国に併合された。黄金のオルドのハン位の継承者を名乗った最後のハンとなったクリミア・ハン国は、1783年に至ってロシアに併合された。多くの場合、大オルダの滅びた1502年か、クリミア・ハン国が滅びた1783年をもってジョチ・ウルスの滅亡としている。

なお、ウズベクでジョチの子孫のハンが絶えたのは1804年で、カザフではロシア革命までジョチの子孫が王族として君臨しつづけた。

文化と制度 [編集]
4千戸のモンゴル遊牧民から発展しながら広大な領域を支配したジョチ・ウルスは、広大な支配地域のもとに多くのテュルク系遊牧民を含んだと推測される。このため、元来モンゴル系だった人々のテュルク化が進展し、勅令など支配者から発給される文書もテュルク語が使われた。また、イスラム教も早くに入り、2代ハンとなったバトゥの弟ベルケは即位以前からムスリム(イスラム教徒)であったことが知られる。しかし、ベルケを例外としてイスラム化はそれほど進まず、13世紀になってウズベクがスーフィーの影響で改宗したのをきっかけに、全ウルスをあげてイスラムに改宗した。ベルケやウズベク以降の諸ハンは、イスラムに改宗したことをきっかけにエジプトのマムルーク朝と友好を持ち、アゼルバイジャンをめぐって同族のイルハン朝としばしば争った。そもそもバイバルスをはじめ、マムルーク朝初期のマムルークたちが、ジョチ・ウルスの支配下で捕虜となるなどして奴隷としてエジプトに売られていったテュルク系遊牧民であった。

ルーシに対しては、諸公の任免の最高決定権を握り、決まった税金をサライに納めることや戦時に従軍することを義務付けたほかは、間接統治に委ねられた。それでも諸公たちは頻繁に税金を携えてサライに赴いたり、敵対する諸公との争いで不利な裁定をされたりしないように宮廷や実力者への付け届けを余儀なくされ、納税や従軍の義務を怠れば懲罰として遊牧民からなる大軍の侵攻を受けるなど、大いに苦しめられた。もっとも、この「タタールのくびき」と呼ばれるモンゴルの支配がどの程度の圧政であったか、またモンゴルの支配がロシア史の展開にどの程度影響を及ぼしたかについてはロシアの歴史学会では19世紀以来、大きな問題として議論された点である。例えば、モンゴルの圧制がロシア社会の発展を妨げたとする説、モンゴルの支配によってロシアへは東洋的な専制支配を自己のものにすることができたのだとする説、モンゴルの支配はロシアの社会発展に特に影響を及ぼさなかったのだとする説など、様々な意見が出されてきた。この問題は決着を見てはいない。いずれにせよ、北東ルーシの小国であったモスクワ公国のイヴァン1世が、ウズベク・ハンに取り入り、北東ルーシ諸公の収税を集めて遅滞なく支払う責任と引き換えにウラジーミル大公の位を獲得して、やがてロシア帝国へと発展してゆくモスクワ大公国を築き上げたことはよく知られた事実である。

「金帳」の支配者たち [編集]
バトゥ家の君主
ジョチ
バトゥ
サルタク
ウラクチ
ベルケ
マング・ティムール(モンケ・テムル)
トゥダ・マング(トダモンケ)
トゥラ・ブカ(トレブカ)
トクタ
ウズベク・ハン(ウズベク)
ティーニー・ベク
ジャーニー・ベク
ベルディ・ベク
バトゥ家断絶後の主な君主
クルナ
ナウルーズ
ヒズル
オロス
トクタキヤ
ティムール・メリク
トクタミシュ
ティムール・クトルク
シャディベク
ウルグ・ムハンマド
大オルダの君主
キュチュク・ムハンマド
アフマド・ハン
シャイフ・アフマド

系図 [編集]

ジョチ・ウルス系の後継諸政権 [編集]
・シバン家系諸政権

シャイバーニー朝(遊牧ウズベク、ブハラ・ハン国)1500年 - 1599年
ヒヴァ・ハン国 1512年 - 1920年
シビル・ハン国(シベリア・ハン国)15世紀? - 1598年
・トカ・テムル家系諸政権
 ウルン・テムル系

カザフ・ハン国 15世紀後半 - 1865年
クリミア・ハン国 15世紀前半 - 1783年
カザン・ハン国 1438年 - 1552年
カシモフ・ハン国 1456年 - 1681年
 キン・テムル系

アストラハン・ハン国 1466年 - 1556年(イヴァン4世の侵攻によりアストラハンを放棄)
ジャーン朝(ブハラ・ハン国)1599年 - 1789年
・非チンギス・ハーン裔のジョチ・ウルス系諸政権

ノガイ・オルダ - ジョチ家の重臣マンギト部族を核とする部族連合
スーフィー朝 - ジョチ家の重臣コンギラト部族の政権
コーカンド・ハン国 - シャイバーニー朝、アストラハン・ハン国に属しコーカンドを領有していたミン部族の政権

ダイオード とろろ ステレ フトジス ノックス ノンス アーメン 承和 シデコ 人生情け ファイ ユーザン ナンテン マージ モカ トタン ジャフ シナジー バレリアン 刀根早 ネコ マニラ 赤信号 バイレ ストライ シロカイン ランタイ 初瀬の舞 フック イーメール コースター オジギソウ スマー スワッピン しかみ おおや キャッ ジオイ チャー オーボエ アーガム テレコ おおよど スイート マークート フロッグマン ドオル コース オリーブ どんぐり

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