2009年12月17日

語彙

外来語や新しい概念を取り入れるときには形容動詞が用いられることが多く、形容詞では「黄色い」「ナウい」など僅かの例があるに過ぎない。ただし、「-らしい」「-っぽい」のような接尾語を加えることで、多くの名詞を形容詞化することができる。また、形容詞はより感情のこもった語であるという語感を持つことから、近年「ケバい」「ダサい」「ヤバい」のような多くの新語が誕生して、普及している。

語の変化しない部分を語幹といい、語幹につくことで文法的機能を表すものを語尾という。学校文法では「く」や「し(い)」「から」などの部分のみ語尾と呼ぶが、現代の言語学の視点ではいわゆる助動詞や助詞(動詞に接続するもの)も語尾である。いわゆる助動詞は語尾のうち、派生語幹を作ってさらに語尾をとるものであり、助詞は句や文の終わりで使われる語尾である。

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学校文法における動詞の活用形は、語根(究極的な語幹)に直についた語尾による語形変化のみを記述しているが、形容詞の場合は派生語幹による語形変化を主とする。「高き(taka-k-i)」「高く(taka-k-u)」「高からず(taka-k-arazu)」のように「く」「き」「から」といったように活用形を決めているのであるが、これらの変化していない語幹部分を見ると、kまでであり、k幹に語尾がついた形を分類している。一方、終止形の「高し(taka-si)」や合成語の「高み(taka-mi)」「高光る(taka-bikar-u)」のような語形をみると、語幹はtakaまでであることが分かり、この部分までが形容詞の語根である。

形容詞が文法的意味を表すために語尾をとる場合、「高からず(taka-k-ar-a-zu)」「高かるべし(taka-k-ar-u-be-si)」「高ければ(taka-k-er-eba)」のようにほとんどkと語尾との間に-ar/(er)(あり)を挟む。-ar(あり)は単独では存在を表す語であるが、ここでは名詞句と形容詞を結ぶ指定・措定の機能を果たしているからである。これは英語において形容詞がbe動詞によって結ばれているのと同じ理屈であり、主として活用するのが形容詞ではなくbe動詞であるように、日本語においても活用するのは-ar(あり)の方である。形容詞自身が活用するのは修飾語としての連用形・連体形と、現在・肯定の述語用法である終止形だけであり、動詞と同じ6活用形でまとめてはあっても、そのあり方は大きく異なるのである。

2009年12月01日

雑煮の調理法は

雑煮の調理法は地域ごとに特色がある。また土地の特産物を入れるなど、地方によって特色がある。例えば千葉県東北部では、濃口醤油の澄まし汁仕立てで焼き角餅のお雑煮に「ハバノリのふりかけ」(鰹節も混ぜる場合があり)をかけて食べる。また愛知県名古屋周辺の特徴的なお雑煮では、餅と小松菜の一種である「もち菜」(正月菜とも呼ばれる)を入れて白醤油の澄まし汁仕立てで鰹節をかけたものがあり、富山ではそれに加えて魚や蒲鉾などを入れて食べるものがある。島根や鳥取の一部では、一般に「汁粉」や「ぜんざい」と使われることが多い小豆汁に餅を入れたものを雑煮と呼ぶ場合もある。なお鳥取では、新たな県の名物としてカレー雑煮が「鳥取カレー倶楽部」などによって広く紹介されている。

なお長崎県島原市の具雑煮のように、季節や風習にとらわれずに通年食べられる物もある。また、一部の喫茶店や茶店では軽食メニューとして雑煮がある店もある。
気候的に米作に適さず、近代まで米食の習慣がなかった沖縄県には現在も雑煮を食べる風習はないが、同じ琉球文化圏に属する鹿児島県奄美地方においては比較的普及している。
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だしについては地域によって種類がいろいろある。例えば昆布、鰹節、カタクチイワシの煮干し(瀬戸内海沿岸など)、スルメ(岡山県県北地域など)などである。

雑煮の汁は地域によって色々なものがある。主として東日本及び九州は澄まし汁が多く、関西は白味噌仕立てが多い。
雑煮に入れる餅の大きさや形は地域ごとに差異がある。主として北海道を除く東日本では四角形の切り餅(角餅)、西日本では丸餅に大別される。おおむね新潟・長野・岐阜・三重県以東は角餅で富山・石川・福井は混在、それより西は丸餅である。北海道では丸餅と角餅が混在しているが、これは明治以降に移り住んだ人たちによって全国各地の雑煮が持ち込まれたためである。

2009年11月27日

廣松渉

廣松 渉(ひろまつ わたる、男性、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は、日本の哲学者、東京大学名誉教授。福岡県柳川市蒲池出身。出生地は山口県厚狭郡山陽町(現在の山陽小野田市)。東京大学文学部哲学科卒。同大学院博士課程修了。筆名は門松暁鐘など。妻の妹は加藤尚武夫人。

廣松渉の政治思想には共産党員であった母の影響が強いと言われる。 1946年、中学1年生の時に日本青年共産同盟に加盟。 1949年4月、高校進学と同時に日本共産党に入党する。1950年の50年分裂では国際派に所属し、 1951年に国際派の「全国統一会議」が解散した後は、党に戻らず全日本学生自治会総連合(全学連)などで活動。高校中退、大検で東京大学に入学をする。

当初、廣松渉はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めもあってカント研究に専念することになる。その後、東京大学大学院に進学。1965年に博士課程を単位取得退学している。
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政治的な思想面では1955年7月の日共第六回全国協議会(六全協)を受け復党するも、翌1956年に出版した共著書『日本の学生運動』が問題とされ離党した。1958年12月に共産党と敵対する共産主義者同盟(ブント)が結成されると以降、理論面において長く支援し続けた。1967年創刊の『情況』は、廣松が当時の金で100万円援助して、創刊されたものだという。創設者の古賀暹によれば、いったん断ったが、喫茶店で上半身の服を脱ぎ、さらしから100万円を出し、「男が一度出した金を引っ込めることはできない」と言われたことから、創刊を決意したと言う(荒岱介『破天荒な人々 叛乱世代の証言』(彩流社2005)古賀暹インタビュー)。 ソ連・東欧の社会主義体制が崩壊しつつあった1990年にはフォーラム90sの発足にも関わった。

2009年11月13日

伊藤博文は

伊藤博文は天皇を中心とした君主制を維持するためにも、天皇を補佐する世襲貴族(華族)の必要性があると認識していた。したがって、選挙による選出である衆議院とは対照的に、貴族院は世襲貴族をその中心に据えた。河野敏鎌は議員の地位を世襲とせず、華族による互選を主張したが、伊藤は「今世襲議員を貴族院より除くは取も直さず世襲貴族を廃するに同じ」と拒絶した。

貴族院関係法令の起草は金子堅太郎が担当した。金子は、当初、「元老院」と仮称していたが、伊藤博文は外国の元老院は選挙による選出だから今回の議院とは性質が異なると否定し、その結果「貴族院」に決定した。これは貴族中心の議院であることを積極的に表現し、天皇の藩屏として純粋な君主主義の立場を取り、民主主義に対抗する役割を期待されていた。また、当初の伊藤は政党内閣は事実上主権(国体)が天皇から政党に移るから認められないと考えていた(もっとも、伊藤は後に立憲政友会を結党)。そこで、貴族院は衆議院の政党勢力と対抗する存在と位置付けられた。第二次世界大戦前にも婦人参政権の導入、労働組合の容認、帝国大学の増設などの法案が議会に提出され、衆議院では可決されているが、こうした「進歩的内容」の法案が貴族院を通ることは決してなかった。
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ただし、藩閥政権に対してもある程度の自立性を持ち、衆議院とその地位を競った結果、藩閥政権を幾度となく窮地に陥れてもいる。逆に、政権が政党に妥協した時には反政党の立場から政権と対立したこともある。1900年、伊藤の増税案に対して、貴族院は政友会の党利党略を理由にこれを否決した。手を焼いた伊藤は明治天皇に貴族院が法案成立に協力するよう求める勅語を出させ、従わせたことがある(貴族院はその性質上、勅語には従わざるを得ないのである)。したがって、保守的であるが単純に藩閥政権の手先ともいえなかった。

大正デモクラシーの時代には貴族院に対する改革・廃止論議が起こり、加藤高明内閣は若干の改正を行った。しかし、貴族院の基本的権限には手をつけられなかった。

2009年11月02日

カイコの蛹はタンパク質を多く含み

カイコの蛹はタンパク質を多く含み、アミノ酸原料として用いられることがあった。鯨ひげもケラチンなどのタンパク質からなることから、同様に利用された。

大豆粕(現在の脱脂加工大豆)は、油脂製造の副産物として得られる。また、海草を原料として用いたケースもあった。ほかにおからやフスマを使用したこともあった。

大門一夫により毛髪の研究の一環として、人間の廃毛髪を原料としたアミノ酸溶液の製造が試みられたとされる。製造方法は毛髪を塩酸で10時間程度、煮て加水分解してアミノ酸やペプチドに分解することで醤油に良く似た水溶液を作り出していた。しかし、揮発成分に乏しく香の点では本物に劣っていた。現在ではオートクレーブを用いて短時間で製造することも可能である。
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池田菊苗のアミノ酸研究の一環として、さまざまな原料を用いたアミノ酸液製造の実験が行われた。その方法として、原料を塩酸で煮沸することでタンパク質を加水分解してアミノ酸としたものを、水酸化ナトリウムで中和することで、中性の食塩水溶液としたアミノ酸液を得ることができた。代用醤油は、主にこのアミノ酸液に風味をつけたものである。現在、大豆および小麦を用いて作られたアミノ酸液は、醤油諸味および醤油と混合することで、醤油とすることができる。

2009年10月23日

事故調査

従来、鉄道事故等においては警察による関係者の責任が問われていたが、個人責任の追及が中心になるあまり当事者の証言が歪められ本来の背後要因等の分析が不十分であるとの指摘があり、中立的な事故原因調査を行う機関の設立が望まれていた。現在、日本において鉄道事故が発生した場合には国土交通省内の運輸安全委員会(前身:航空・鉄道事故調査委員会)によって原因究明と再発防止のための調査が行われる。また、業務上過失致死罪などの容疑で刑事捜査が行われる場合もある。
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しかし、刑事捜査が優先されるため、運輸安全委員会による調査は十分に行えず、さらに運輸安全委員会の事故調査報告書が刑事裁判の証拠として採用されることもあるため、事故関係者が責任波及を恐れて事故に関する証言を拒んだり黙秘する問題も出てきており、また、刑事捜査は関係者の処罰が目的のため事故の再発防止には役立たないという指摘もある。

そのため、委員会をアメリカの国家運輸安全委員会(NTSB)のような国土交通省から独立した強い権限を持つ機関に改めることと、過失による刑事責任を問わないことで関係者の証言を得やすくするべきだという意見も根強い。

2009年06月22日

ゲノム(ドイツ語: Genom)という語には

ゲノム(ドイツ語: Genom)という語には、現在、大きく分けて二つの解釈がある。

古典的遺伝学の立場からは、二倍体生物におけるゲノムは生殖細胞に含まれる染色体もしくは遺伝子全体を指し、このため体細胞には2組のゲノムが存在すると考える。原核生物、細胞内小器官、ウイルス等の一倍体生物においては、全遺伝情報を含むDNA(一部のウイルスやウイロイドではRNA)を指す。

分子生物学の立場からは、すべての生物を一元的に扱いたいという考えのもと、ゲノムはある生物のもつ全ての遺伝情報としている。 ゲノムには、タンパク質のアミノ酸配列をコードするコーディング領域と、それ以外のいわゆるノンコーディング領域に大別される。ゲノム配列解読当初、ノンコーディング領域については、その一部が遺伝子発現調節等に関与することが知られていたものの、大部分は意味をもたないものと考えられ、ジャンクDNAとも呼ばれていた。現在では、遺伝子発現調節のほか、RNA遺伝子などの生体機能に必須の情報が、この領域に多く含まれることが明らかにされてきている。
星と光たち
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まの付く言葉
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為替
アーチェリー
ボイスドラマ
九州
カポエラ
ビオトープ
縄跳び
包装
ソフトボール

「ある生物をその生物たらしめるのに必須な遺伝情報」として定義される。遺伝子「gene」と、染色体「chromosome」あるいはgene(遺伝子(ジーン)の)+ -ome(総体(オーム))= genome (ジーノーム)をあわせた造語であり、1920年にドイツのハンブルク大学の植物学者Hans Winklerにより造られた。複数の染色体からなる二倍体細胞においては全染色体を構成するDNAの全塩基配列を意味することもある。

H. Winkler によるはじめの定義では配偶子が持つ染色体の一組を意味したが、後に木原均(1930年)によるコムギ染色体の倍数性の観察に基づき、生物をその生物たらしめるのに必須な最小限の染色体セットとして定義し直し、ゲノム説を提唱した。 二倍体生物においては、生殖細胞に含まれる全染色体、もしくはその遺伝情報を意味し、体細胞には2組のゲノムが存在すると考える。

2009年06月04日

将校(しょうこう、officer)とは軍隊において

将校(しょうこう、officer)とは軍隊において兵科・機関科にある少尉以上の軍人をいう。その他、軍医・法務等の科にある者を将校相当官といい、あわせて士官という。軍隊においては准士官の上に位する。しかし、戦前の日本では、少尉以上の階級総称を陸軍は「将校」・海軍は「士官」と慣用的に呼んでいた。特に士官は少尉以上の軍人の総称であるのに対して、将校は部隊指揮官としての任にある者を指すものである。尚、士官には将官を含まず、尉官・佐官のみとする場合もある。

将校は主に士官学校或はそれに類する学校の卒業者が補任され、部隊内の隊長以上の役職は将校が就任し、下士官が隊長になることは少ない。また、陸軍省・海軍省などの役所(かつては官衙といった)で働く者は一部の雇人を除き将校で占められる。

士官と将校は混同されやすいが、一般的に将校たる士官と、その他の士官とでは待遇や序列も異なった。軍隊内においては、同じ階級であっても、将校である者が優先され、軍隊内での指揮においては将校でない大尉よりも兵科・機関科の中尉の方が序列は上に位置づけられるなど、将校としての地位は非常に重要であった。士官勤務を行う見習士官たる曹長、および士官相当の上級勤務を行う准尉、曹長については、他の下士官と区別するため、将校勤務者章を佩用した。
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戦前の日本軍では将校以上の者の軍服は自弁であり、仕立て屋に作らせた。

また、共産圏の軍隊においては、政党が軍隊を掌握するための職務として、政治将校などが置かれた。

日本の自衛隊は法的に軍隊ではないため、正式に将校という概念は用いていないが、幹部自衛官が将校に相当する地位である。(伝統を重んじる海上自衛隊においては、「士官」という語を用いることは多い。例えば、士官室、当直士官、副直士官、警衛士官、甲板士官、機関室副直士官、安全係士官など艦内編成において多く用いる。)

2009年05月01日

幕藩体制

幕藩体制(ばくはんたいせい)とは、近世日本の社会体制のあり方を、幕府(将軍)と藩(大名)という封建的主従関係を基点にとらえた歴史学上の概念である。戦前段階には狭義に政治体制自体を指していたが、戦後の歴史学の進展に伴い、近世日本の社会体制全体の特色を示す概念として使われるようになった。幕藩制(ばくはんせい)ともいう。

江戸幕府を全ての武士の頂点とし、最高の統治機関としながらも、各大名がそれぞれの領地においてある程度独立した統治機構(藩)を形成していることと、米などを現物で納めさせて年貢とする石高制をその基礎においていることが特徴である。諸大名を親藩、譜代大名、外様大名に分け、参勤交代や改易によってこれを統制した。また、士農工商などといわれる身分制度によって武士を支配階級に位置づけた(もっとも士農工商という言葉は当時の階級を正確に表してはいないと指摘されている)。

石高制については安土桃山時代に兵農分離が行われ検地によって徐々に形成されていたものだが、幕藩体制を形作る諸制度は初代将軍徳川家康以降、2代徳川秀忠、3代徳川家光の時代に、鎖国体制や知行制、村請制などが確立されていった。武家諸法度や朝廷に対する禁中並公家諸法度、寺社への統制なども行う。

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江戸時代には商人資本の成長や農村への商品経済の浸透、それらによる身分制の変質など、村落共同体の動揺は一揆や打ちこわしを招き、幕府や諸藩は幕政改革や藩政改革を行い再編を試みる。

幕末には幕府は鎖国政策を改めて開国し、朝廷権威も伸長して公武合体路線が進められる。大政奉還、王政復古により解体され、明治初期には旧藩による統治は維持されるが、中央集権政策のもと版籍奉還、廃藩置県により幕藩体制は終結する。

2009年04月17日

バトゥ・オルダ両王家の断絶とトカ・テムル家の台頭

1359年にウズベクの孫ベルディベクが死ぬとバトゥ・ウルスではバトゥの王統が断絶し、1379年までの20年間に21人以上のハンが交代するという大混乱に陥り、キヤト部族のママイが黒海北岸を押えて大勢力となった。また東部のオルダ・ウルスでも王統がオルダの子孫から、ジョチの13男トカ・テムルの子孫に移り、トカ・テムル裔のオロスが支配した。

1376年、オルダ・ウルスにいたトカ・テムル裔のトクタミシュは、オロスと対立してティムール朝のサマルカンドに逃れ、ティムールの援助を受けて1378年にオルダ・ウルスの支配者となった。トクタミシュはサライに遠征してサライのハンの座につき、さらに1380年にはクリコヴォの戦いでモスクワ大公国に敗れて再起をはかる途上であったママイを破ってジョチ・ウルスの再統一を果たした。

しかし、トクタミシュは支援を受けたティムールと対立し、1395年、ティムールの大軍によるサライ遠征に敗れて没落し、マンギト部族のエディゲに倒された。これ以降、ジョチ裔の様々な家系に属する王族によりサライのハン位が争奪され、争奪戦に敗れた王族が他地方でハンを称して自立し、ヴォルガ中流のカザン・ハン国、カスピ海北岸のアストラハン・ハン国、クリミア半島のクリミア・ハン国が次々に勃興し、マンギト部族の形成した部族連合ノガイ・オルダや、大オルダと呼ばれるようになったサライを中心とする政権(黄金のオルド)などの諸勢力が興亡した。一方、東方の旧オルダ・ウルスではジョチの8男シバン(シャイバーン)の子孫がハンとして率いるウズベク(シャイバーニー朝)と、オロスの子孫がハンとして率いるカザフ(カザフ・ハン国)の二大遊牧集団が形成され、南シベリアではシビル・ハン国が誕生し、15世紀の間にジョチ・ウルスの政治的統一は完全に失われていった。

サライの大オルダ(黄金のオルド)は、1480年、モスクワ大公イヴァン3世に敗れてルーシの支配力を失った。大オルダは1502年にクリミア・ハン国によってサライを攻略されて滅ぼされ、カザン、アストラハン、シビルの各ハン国は16世紀の間に次々にロシア帝国に併合された。黄金のオルドのハン位の継承者を名乗った最後のハンとなったクリミア・ハン国は、1783年に至ってロシアに併合された。多くの場合、大オルダの滅びた1502年か、クリミア・ハン国が滅びた1783年をもってジョチ・ウルスの滅亡としている。

なお、ウズベクでジョチの子孫のハンが絶えたのは1804年で、カザフではロシア革命までジョチの子孫が王族として君臨しつづけた。

文化と制度 [編集]
4千戸のモンゴル遊牧民から発展しながら広大な領域を支配したジョチ・ウルスは、広大な支配地域のもとに多くのテュルク系遊牧民を含んだと推測される。このため、元来モンゴル系だった人々のテュルク化が進展し、勅令など支配者から発給される文書もテュルク語が使われた。また、イスラム教も早くに入り、2代ハンとなったバトゥの弟ベルケは即位以前からムスリム(イスラム教徒)であったことが知られる。しかし、ベルケを例外としてイスラム化はそれほど進まず、13世紀になってウズベクがスーフィーの影響で改宗したのをきっかけに、全ウルスをあげてイスラムに改宗した。ベルケやウズベク以降の諸ハンは、イスラムに改宗したことをきっかけにエジプトのマムルーク朝と友好を持ち、アゼルバイジャンをめぐって同族のイルハン朝としばしば争った。そもそもバイバルスをはじめ、マムルーク朝初期のマムルークたちが、ジョチ・ウルスの支配下で捕虜となるなどして奴隷としてエジプトに売られていったテュルク系遊牧民であった。

ルーシに対しては、諸公の任免の最高決定権を握り、決まった税金をサライに納めることや戦時に従軍することを義務付けたほかは、間接統治に委ねられた。それでも諸公たちは頻繁に税金を携えてサライに赴いたり、敵対する諸公との争いで不利な裁定をされたりしないように宮廷や実力者への付け届けを余儀なくされ、納税や従軍の義務を怠れば懲罰として遊牧民からなる大軍の侵攻を受けるなど、大いに苦しめられた。もっとも、この「タタールのくびき」と呼ばれるモンゴルの支配がどの程度の圧政であったか、またモンゴルの支配がロシア史の展開にどの程度影響を及ぼしたかについてはロシアの歴史学会では19世紀以来、大きな問題として議論された点である。例えば、モンゴルの圧制がロシア社会の発展を妨げたとする説、モンゴルの支配によってロシアへは東洋的な専制支配を自己のものにすることができたのだとする説、モンゴルの支配はロシアの社会発展に特に影響を及ぼさなかったのだとする説など、様々な意見が出されてきた。この問題は決着を見てはいない。いずれにせよ、北東ルーシの小国であったモスクワ公国のイヴァン1世が、ウズベク・ハンに取り入り、北東ルーシ諸公の収税を集めて遅滞なく支払う責任と引き換えにウラジーミル大公の位を獲得して、やがてロシア帝国へと発展してゆくモスクワ大公国を築き上げたことはよく知られた事実である。

「金帳」の支配者たち [編集]
バトゥ家の君主
ジョチ
バトゥ
サルタク
ウラクチ
ベルケ
マング・ティムール(モンケ・テムル)
トゥダ・マング(トダモンケ)
トゥラ・ブカ(トレブカ)
トクタ
ウズベク・ハン(ウズベク)
ティーニー・ベク
ジャーニー・ベク
ベルディ・ベク
バトゥ家断絶後の主な君主
クルナ
ナウルーズ
ヒズル
オロス
トクタキヤ
ティムール・メリク
トクタミシュ
ティムール・クトルク
シャディベク
ウルグ・ムハンマド
大オルダの君主
キュチュク・ムハンマド
アフマド・ハン
シャイフ・アフマド

系図 [編集]

ジョチ・ウルス系の後継諸政権 [編集]
・シバン家系諸政権

シャイバーニー朝(遊牧ウズベク、ブハラ・ハン国)1500年 - 1599年
ヒヴァ・ハン国 1512年 - 1920年
シビル・ハン国(シベリア・ハン国)15世紀? - 1598年
・トカ・テムル家系諸政権
 ウルン・テムル系

カザフ・ハン国 15世紀後半 - 1865年
クリミア・ハン国 15世紀前半 - 1783年
カザン・ハン国 1438年 - 1552年
カシモフ・ハン国 1456年 - 1681年
 キン・テムル系

アストラハン・ハン国 1466年 - 1556年(イヴァン4世の侵攻によりアストラハンを放棄)
ジャーン朝(ブハラ・ハン国)1599年 - 1789年
・非チンギス・ハーン裔のジョチ・ウルス系諸政権

ノガイ・オルダ - ジョチ家の重臣マンギト部族を核とする部族連合
スーフィー朝 - ジョチ家の重臣コンギラト部族の政権
コーカンド・ハン国 - シャイバーニー朝、アストラハン・ハン国に属しコーカンドを領有していたミン部族の政権

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